破滅に向かって~書店員日記~

アラフォー独身書店員のブログです。 よろしくお願いいたします。

2022年04月

4月某日。

休日の朝、いつものように喫茶店に向かうと月末からの値上げを告知するPOPが目に入った。

いずれそうなるだろうと覚悟はしていたが、やはり現実になるとショックを受けてしまう。果たしていくら上がるのだろう。これまでは休みの度に必ず行っていたが、いよいよ頻度を減らさないといけないのかもしれない。

何より苦しいのは、この値上げがまだ序章に過ぎないであろうことだ。休日ごとに利用していたのが2回に1回に。そのうち3回に1回に。こうやって心は蝕まれていくのだろう。

こんなことなら書店員なんてさっさと見切りをつけて、もっと給料のいい仕事を見つけておけばよかったなと思う。けれどもう何を言っても遅すぎる。

自分はいつだって取り返しのつかないことになってから後悔してばかりだ。

いつかマッチングアプリで見かけた女性がプロフィールにこんなことを書いていた。

『お相手の年収は、最低でも600万円以上を希望します。貧乏だと、こころも貧しくなってしまうからです。』

そこまではっきり書かなくてもいいだろうが、と当時は腹が立ったものだ。しかし今になって思う。その女子の書いていたことは何ら間違っていなかったということを。

『ぼくはびんぼうなので、こころもまずしくなってしまいました。』

一人っきりの部屋で呟いてみた。もちろんその声に反応する者はなく、外をバイクが走り去る音だけが聞こえてくるだけだった。

4月某日。

仕事で横浜へ。久しぶりに新幹線に乗る。いつ以来だろう?と振り返ると、昨年6月末の別れた人に最後に会いに行った時だった。

あれからもう10ヶ月近く経つことになる。その間自分には何があっただろうか。マッチングアプリで何人かに会ったりもしたけれど、今となってはもう殆んど思い出せない。ただただ空っぽの時間が過ぎていった気がしている。

もちろんそれだけ時間が流れて、当初のような激しく胸を打つ痛みは随分と落ち着いた。朝起きてこれは現実なんだとうなだれることも無くなった。職場では普通に働いているし、時には誰かと話して大笑いすることだってある。

けれど心の奥底ではいまだにあの人のことが根深く残っている。今日まで思い出さない日は一日たりとも無かった。あともう一度だけ会えたら、もう一度だけ話せたら、そんな情けないことを思い続ける毎日だ。

こんなことは友達にも言わない。どうせ『女々しい』だの『しつこい』だの軽々しく吐き捨てられるのがオチだろう。後悔するだけだし、本気で殴りかかってしまうかもしれない。結局こうやって誰も読まないブログにでも書いて紛らわせるしかない。

そんなことをぼんやりと考えながら外の景色を眺めていた。静岡にさしかかり富士山が姿を現すと、何人かの乗客がそれをスマホで撮影し始めた。カシャカシャという音が静かな車内に響く。撮っているのは皆旅行客で、スーツの男たちは揃って見向きもせず、ノートパソコンに何かを打ち込み続けている。その対比が少し可笑しかった。

新横浜に到着し、改札を出る。そこで色んな記憶がフラッシュバックしてしまった。この改札を出たところであの人が待っていたこと。駅ビルの三省堂書店で一緒に本を見て回ったこと。近くの居酒屋で飲みに行ったこと‥。

封印していたはずの記憶が急激に押し寄せてきて、思わずその場に倒れこみそうになってしまった。

横浜、東京。出来ることならもう二度と行きたくない。あの人との思い出が多過ぎて耐えられないから。

今心から思うのは、本当にかけかえのない人を自分は失ってしまったのだということ。その一方で、それまでの自分の振る舞いを鑑みるとこうなってしまったのは全て自分の責任であるということ。

ほんと、いい年していつまでも女々しくて情けないね。


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ふと思い立って、20年ぶりくらいに漱石の『三四郎』を読み直している。

大体のあらすじは覚えていたが、細部のエピソードはすっかり忘れてしまっていた。あー、こんなシーンあったなあ、なんて思い出しながらゆっくり読んでいる。

九州から上京し、大学に入学した主人公三四郎が色んな人たちに出会い成長し‥といういわゆる青春小説だ。新しい場所、新しい友人、新しい恋、自分も大学に入った頃こんな感じだったなあ‥と20年前を懐かしく思い出した。

色々大変だったけど楽しかったなあ。あの頃出会った人たち、もう何をしているのか一切知らないけど元気だろうか。

『三四郎』と言えば何より思い出されるのが冒頭のシーンだ。上京するため列車に乗っている三四郎が、隣席の女性とふとしたきっかけで話し始める。色々あって同じ宿で宿泊することになるのだが、ウブな三四郎はお互いの布団もしっかりと切り離し、指一本触れることなく朝を迎える。

そして駅の改札での別れ際、女性はこう言うのだ。

『あなたはよっぽど度胸のない方ですね。』

童貞の三四郎は顔を真っ赤にしてビビり倒すのだった‥。

当時読んだ時は衝撃だったことをよく覚えている。もちろん20年前は自分もバリバリの童貞だったので、『いや何で別れ際にそんなこと言うのん‥!』と震え上がったものだ。

青春とはいつもほろ苦い。


仕事から帰ると注文していたCDが届いていた。

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前野健太のニューアルバム『ワイチャイ』だ。前作から丸4年。もうそんなに時間が経ってしまったのか。前々からレコーディングはしているような話は聞こえていたが、それでも随分と時間がかかったと思う。この4年間ずっとマエケンの新曲が聴きたかった。

肝心の内容だが、これが本っ当に良かった!前作はアレンジが1曲毎に凝ってて、ちょっと胃もたれするなと思ったりもしたのだが、今回のピアノ主体のシンプルなバンドサウンドはかなり好みだ。

自分の中ではマエケン史上最高傑作アルバムになると思う。相変わらず塞ぎこむことばかりの毎日だが、最高のアルバムを聴いて生きていく気力が沸いてきた。

3月某日。

早番勤務を定時で切り上げ駅に向かう。

地元の友人『モリオ』と落ち合い、久しぶりに飲みに行った。前回会ったのはもう半年以上も前だったろうか。そもそも誰かと飲むこと自体最近はほとんど無い。つくづくコロナのおかげで人と会うのも気軽に出来なくなってしまったと思う。

この日は春休みということもあり、駅前は観光客や若者でごった返していた。目星をつけていた居酒屋も繁盛しており、なんとかギリギリで入店出来たくらいだ。

早速注文しようと店員を呼び止めると、自分のスマホで専用のQRコードを読み取りそこから行うらしい。コロナ対策でこんなところも変わってきているのだなあ、と感心した。

久々の居酒屋飲みは楽しかった。酒も料理も旨く、おまけに値段も手頃だった。当たりの店で良かったなー、などと言いながら気分よく酔えた。

モリオとは中学時代に知り合ってもう四半世紀は経つだろうか。自分と同じで未だに独身である。七~八年前はお互い奮起し、何度か婚活パーティーに一緒に行ったものだった。全て不甲斐ない結果に終わり、帰りの電車で慰め合ったことを今もよく覚えている。

そこからは何か行動を起こしているような話も聞かない。思えば今までこの男に彼女がいた話は一切聞いたことがない。結婚は完全に諦めたわけではないが、一人でも充分に楽しいという。確かに休日は毎週登山やジョギング、美味しい店探索やドライブと趣味を存分に満喫し、寂しいとは一切思わないそうだ。

『数十年後後悔するかもしれないけど、今は仕事も休日も充実してるし、この生活には満足してるよ。別に誰かと一緒にいたいとか強く思ったりはしないな。』

なんかこのスタンスいいなあ、と思った。自分ならどうしても周囲の目を気にしてしまうから真似は出来ないけれど。

誰かを好きになる喜びを知らない、それは同時に失う悲しみを知らないということだ。自分のようにいつまでも失恋の喪失感を引きずっている女々しい人間より、モリオのほうがよっぽど幸せなのだろう。

何も持たないということは全てを持っていることと同義なのかもしれない。

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